昨年後半より身の回りに不幸が続きました。それだけが理由ではありませんが本欄にもすっかりご無沙汰してしまいましたので短文ではありますが投稿します。
数年前に「守城の人」という題名のノンフィクションを購入しました。内容は明治の軍人「柴五郎陸軍大将の生涯」という副題がついていました。会津白虎隊の後に残された士族の子弟たちは明治政府から迫害を受け津軽の原野へ追放されたのです。徳川幕府のために命を懸けて戦ってきたのにその幕府の要人を含む明治政府から残酷な仕打ちを受けるくだりは今もって納得がいきません。この件は今回はさておき、主人公である柴五郎大将が幼児期に津軽の何もない原野で開墾生活に明け暮れる日常の生活描写から始まります。開けても暮れても零下数十度の原野で食べる物も無い彼らはとうとう野犬まで食べざるを得ないという状況になりました。子供であった柴五郎はさすがに野犬の肉は喉を通らず、「旨くない」と愚痴をこぼしたそうです。それを聞いた父親は「ここは戦場なるぞ。会津藩が受けた屈辱が晴れるまでは戦場なるぞ。」と一喝したそうです。それを読みながら私は眼にうるむ涙を止めることが出来ませんでした。幼児が空腹で可哀そうになあという涙ではありません。父親が如何に「矜持」を強く抱いていたかを知らされるからなのです。矜持(きょうじ)というのは簡単には「誇り」に近い意味を持っています。男というのは生来、自分の人生は誇りを守る為にあるという思想を持つのではないでしょうか。決して目の前にある快楽を求めるために生きているのでは無い筈です。人間と動物の違いは「矜持」を持つか持たないかなのです。この幼児、柴五郎少年の話を知人にする時にはどうしても涙声になり未だに恥ずかしい気がしてしまうのです。